

秋田県出身の人気お笑いトリオ・ハナコの岡部大さんは、県内随一の進学校である秋田高校を卒業後、早稲田大学スポーツ科学部に進学。小学校から大学まではパスケに熱中していたという岡部さんだが、大学在学中に「ワタナベコメディスクール」に入り、お笑いの世界ヘー。テレピで見ない日がないほどの人気芸人となった岡部さんが、どのような学生時代を過ごし、どのように進路を決めてきたのかインタビューしました。
プロフィール
秋田市出身。1989年5月30日生まれ。秋山寛貴、菊地竜太とともにお笑いトリオ・ハナコを結成。2018年に『キングオブコント』優勝。NHK連続テレビ小説『エール』(2020年)で俳優デビュー後、数々の作品に出演する。お笑い芸人・俳優として人気を集め、2026年からは日本テレビ系情報番組『ZIP!』の火曜パーソナリティも務めている。
幼少期からバスケに夢中空回りも青響な高校時代
小学生からバスケに打ち込んでいた岡部さん。当時は勉強との両立はできていました?
全然! 小学4年生からミニバスを始めて、そこからはもうバスケ漬けの毎日。小~中学生の頃は、夏休みの課題をやらずにギリギリまで粘って先生が忘れるのを待つ、みたいなこともありましたね(笑)。高校時代は、赤点をとったこともあったし、学年に320人くらいいたけれど、僕はテストで300番台くらいの順位でした…。

懐かしそうに学生時代を振り返る岡部さん
ご両親から叱られたりしなかったんですか?
それが、勉強面で厳しく言われたことはないんですよ。ただ、食事のマナーだけはしつけられました。箸の持ち方だったり、魚のキレイな食べ方だったり。そこは大人になってからありがたさを感じていますね。
寛大なご両親!(笑)。反抗期はありませんでした?
一回もないです。僕はもうゴリゴリのマザコンだったので、小学6年生ま でお母さんと一緒に寝ていました(笑)。僕が小学5年生くらいの頃から、 2個上の姉に反抗期が来て、中学~高校までと長くて。それを見ていたから、反面教師にして「反抗してもあまり得がないな」と思ったのかもしれないです。
バスケー直線な生活を送っていた中で、県内屈指の進学校・秋田高校を目指した理由は?
実家からは秋田南高校の方が近かったのですごく引かれたんですけれど、先生や親から「一番高いところを目指したほうが今後の可能性が広がる」という勧めがあって。実際に秋田高校の学校見学に行ったら、自由な校風に引かれて、そこから目指しましたね。

どんな高校生活を送っていたんですか?今だから話せるエピソードがあれば教えてください。
高校でもバスケに熱中していて、部活のキャプテンになりたての時は、「打倒、能代工業!」という気持ちでやっていたんです。ただ、暑苦しすぎ たのか熱量がありすぎたのか、周りとの温度差を感じて。「スラムダンク』でいう、桜木花道が入る前の赤木状態というか(笑)。「あいつには付いて行けねー」みたいな感じになって、孤立しちゃって。部活に行きづらくなったから1週間くらい部活を休んだんですけれど…。その間は、彼女と一緒に下校したりしてめちゃくちゃ楽しみましたね(笑)。結局仲間が「部活来いよ」って言いに来てくれて、そこから復帰したんです。バスケ以外でも、漫才をやったり、学園祭でMCをしたり、彼女と過ごしたり、今思えば充実していましたね。

思い出の体育館でシュートを打つハナコの岡部さん
慢我と挫折から広がったバスケではない自分の可能性
まさに “青春’'な高校時代ですね。卒業後の進路はどのように決めたんですか?
この大学に行きたいとか県外に行きたいというのはなかったんですけれど、秋田高校は「みんな東北大・東大を目指しましょう」という風潮で。バスケでケガが多く、リハビリでトレーナーさんや理学療法士さんにお世話 になる中で「スポーツに関わる仕事ができれば」と思っていたので、「スポーツトレーナーの勉強ができる学校を目指そう」と、早稲田大学スポーツ科学部、筑波大学体育専門学群を受験しました。夏の大会が終わってから急いで勉強を始めて、ギリギリで間に合わせたので先生たちがみんなビックリしていましたね。早稲田大学はセンター試験(現大学入試共通テスト)集中でうまくいったのですが、筑波大学の方は実技の長距離走で大失敗…。気持ちが乗りすぎて、1周目から周りがざわつくくらい異常なハイペースでダントツ1位。でもその後見事にバテて、全員に抜かれてビリになりました(笑)。

ボールに触れると、童心に返ったような笑顔をのぞかせた。「気の抜けない瞬間が続く、ぎゅっとした熱量が大好き」とバスケの魅力を語る。
無事、早稲田大学に進学。そこからお笑いを目指すことになったきっかけは?
大学入学後もバスケ部に入ったけれど、僕以外みんな推薦生。受験太りもしていて、スタートからだいぶ出遅れていた中、夏休み前に肘をガッツリとケガしちゃって。治してまた試合に出られるように頑張るのが難しいなと思ったんです。今までずっと自分の生活の中心にバスケがあったんですけれど、その時に初めてバスケ以外の可能性を考え始めました。実は元々、前のコンビの相方が「大学生でもNSC可こ通えるらしいよ、上京したら2人で通おう」と誘ってくれていたんですよ。でも当時僕はバスケがやりたくて1回断ったし、そいつは1年浪人することになったしでその話は流れていて。大学が本当に自由な校風だったのと、大学周辺の高田馬場にはいろいろな人種がいて、そのカオス感というか、どんな人も受け入れてくれる寛容さを感じていたこともあって、せっかく東京に来たし、ちょっと横道にそれてみるのもありかな、と。部活を辞めてからはバスケサークルに入りながら、上京した高校の同級生とラーメン屋巡りをしたりバイトしたり、プラプラと暇を謳歌していました。それから1年後、元相 方が早稲田に入学した時に「バスケ辞めたんだよね」と話したら「じゃあお笑いやろうよ」ってまた誘ってくれて、それがきっかけですね。
※NSC(吉本総合芸能学院)
お笑いの世界へ進むことについて、両親の反応はどうでした?
親にあんなに反対されたのは最初で最後ですね(笑)。やるならちゃんと 芸人を目指したくて、「大学を辞めてフリーターになって、お金を貯めて養成所に通おう」と思ったんです。それで、大学2年次に秋田に戻って親に話したら…反対されたし、お母さんはもう寝込んじゃって。僕が東京に帰る日まで結局寝室から降りて来なかった。親父は「大学だけは出るように。卒業したらあとは好きにしていい」と言ってくれて。なので大学に通いながらやっていこうとなったんですけれど、今の事務所が大学生お笑い大会を主催していて、優勝したら特待生としてタダで養成所に入れると。「これならお金を貯めなくてもいいじゃん」と挑戦したら優勝できて、在学中から養成所に通っていました。

当時の面影が残る高校の教室にて。小学生の頃からお笑い好きで、高校の昼休みや放課後は、元相方と書いた漫才を教室で友人に披露していたそう。
話を聞いていると、岡部さんは上昇志向を強くお持ちなんですね。
確かにそうかも。高校進学を目指せるなら秋田高校に、バスケも「打倒 能代工業」、お笑いもやるなら芸人に…。「本気でやったほうが何事も楽しい」という気持ちが強い。どうせやるなら全部全力でというか、すぐマジになっちゃうタイプかもしれないです。
学生時代を振り返って、後悔していることはありますか。
自分が興味のあることにもっと挑戦したら良かったと思いますね。バスケに熱中していたけれど、辞めてからたくさんの遊びを知って、音楽や演劇も好きだなと気付きました。バスケをやりながら兼部もできただろうし、大学でももっといろいろなサークルに入っていれば良かった。学生時代は失敗できる年齢だし、少しでも興味を持ったら一丁噛みしてみるのも良いと思います。

進路に悩む高校生にメッセージをお願いします!
正直、僕も高校生の時には、まさか自分がお笑い芸人になるとは思っていなかった。将来の夢や進路を決める時期だと思うけれど、今思い描いていることをずっと頑張り続けられる人はあまりいないと思うんです。卒業後の4~5年で人生がガラッと変わることもある。だからそこま で深刻にならず、素直に自分が今興味を持っている道に進んでみれば良いと思います。それで決まりではなく、そこから別の道に行くことはいくらでもできるので。手堅く安定志向とか、事情を考えて守りの選択をするよりも、自分がワクワクする方に進んでください! 可能性はいくらでもあると思いますよ。
撮影協力:秋田県立秋田高等学校

秋田のお気に入りスポット
“御所野のジャスコ” (現在のイオンモール秋田)
「ジャスコ」って言っちゃいますね(笑)。もうあそこがすべて。家族で出かけたのも、友だちと遊びに行ったのも、初デートも全部。ちゃんとしたデートは高校生の時で、映画を観てプリクラ撮ってフードコートに行ったなあ…思い出が詰まっています。
五右エ門/チャイナタウン
秋田のあんかけチャンポンが大好きで、夏でも食べたいくらい有名な「チャイナタウン」の味噌チャンポンももちろん好きなんですが僕は実は五右ェ門派(小声)。あのちっちゃい牡蠣が入った、海鮮の風味溢れる醤油チャンポンがたまらないです。
















